お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

世界に先駆けて”先物取引”が行われた街・大阪



先物取引発祥の地は意外と身近にあった

日商簿記1級や全経上級、建設業経理事務士1級などではデリバティブ(金融派生商品)が出題されます。
実際に第146回日商簿記1級の会計学でも、デリバティブの一種であるオプション取引が出題されました。

検定試験の問題ではコンスタントに出題されるデリバティブですが、多くの受験生にとってはあまり馴染みがないものであるため、理解するのに苦労しますよね。

しかし、世界に先駆けてこのデリバティブ取引が日本のしかも大阪で行われていたと聞けば、少し身近に感じていただくことが出来るのではないでしょうか。

大阪市役所からすぐの所にデリバティブのルーツ、堂島米市場(堂島米会所)跡地があります。
なんと、Net-School@うめだStudy(うめスタ)から歩いて20分ほどの場所にあるんです。
さっそく、うめスタからテクテク歩いて行ってみました。

いざ、先物取引発祥の地へ

まず、うめスタから出て御堂筋を南へ15分ほど歩き、淀屋橋に出ました。
ここは大阪市役所があるところです。
淀屋橋と名の通り、大阪市役所を挟む形で流れる堂島川に大きな橋が2つ架かっています。
その橋を渡らずに貸方、いや右(西)へ川沿いに少し歩いて行くと、これまた大きな橋が見えてきます。
(夜になるとライトアップされてとても綺麗です。これだけでも来る価値はありそうですね。)

この橋の北側(写真の右側)に目的の場所はありました。
川の対岸には日本銀行大阪支店があり、古くから金融の中心地であったことがうかがえます。
日本銀行の建物は時代を感じさせるたたずまいで、周りの高層ビルとは風格が違いますね。
いよいよ先物取引発祥の地に近づいてきた感じです。
(日本銀行 大阪支店)

残念ながら既に米市場の建物は無く、堂島川にかかる橋のたもとに銅像と記念碑があるのみでした。
約5m四方の記念碑は立派なものだと思うのですが、周りには高層ビルが建ち並び、頭上には阪神高速道路が走っているという大都会ならではの環境もあり、うっかりすると気づかずに通り過ぎてしまいそうなひっそり感が漂っていました。

とは言っても、金融関係の仕事に従事されている方に取っては特別な意味を持っている場所に変わりはありません。
私も簿記とFPで先物取引を学んできた者として、この場所に立つと感慨深いものがあります。

記念碑にはこのように書かれています。
享保十五年(一七三〇年)幕府は堂島米市場に米の先物取引である帳合米取引を公認した。 その取引の手法は現在の大阪証券取引所を始めとする世界各地における組織化された商品・証券・金融先物取引の先駆をなすものであり、先物取引発祥の地とされている。・・・(以下省略)
つまり、この場所が世界で始めて先物取引が行われた場所ということですね。
では次に、この場所でどのような先物取引が行われていたのか、少し調べてみました。

280年以上前に行われていた先物取引とは?

1730年というと、暴れん坊将軍として馴染みの深い八代将軍徳川吉宗の時代です。
また、「デリバティブ」をはじめとする金融取引の最先端といえばアメリカをイメージされる方が多いかと思いますが、アメリカ最古の商品取引所であるシカゴ商品取引所(現在のシカゴ・マーカンタイル取引所の前進)が1848年設立ですから、それよりも100年以上も前ということになります。

お侍さんがまげ頭で腰に刀を差して歩いていた時代に、どんな先駆的な取引が行われていたのでしょうか。

堂島米会所で行われていた取引は3種類ありました。
  • 「正米商」(しょうまいあきない)
  • 「帳合米商」(ちょうあいまいあきない)
  • 「石建米商」(こくだでまいあきない)

「正米商」は現物の米を取引します。
「帳合米商」は1年を3季に分けて、建物米と呼ばれる売買基準銘柄を設定し、何ヶ月も先の架空の米を取引します。建物米の売買単位は100石で、各季の最終日に取引の差額だけを決済するというものでした。
「石建米商」は「帳合米商」の一種で、相場の安定化を目的に一時的に行われていたものです。

この「帳合米商」の取引形態はまさに現在の先物取引そのものです。
「帳合米商」自体は堂島米会所開設以前から米商人の間で行われるようになっていましたが、幕府はこれを不法な取引として禁止していたようです。
しかし、いくら禁止しても取引が後を絶たないため、ついにこれを公認して堂島米会所開設に至りました。

「帳合米商」の目的はリスクヘッジにあります。
米相場は天候に左右されやすく、台風などで収穫量が少ないと価格が大きく上昇し、豊作だと下落します。

「正米商」と「帳合米商」をうまく組みあわせることで、価格変動によるリスクを軽減し、米の価格が上がっても下がっても安定して利益が出せるように考えたわけです。
また、あくまでも帳簿上で生じた差額のみを決済(これを差金決済といい、現代のデリバティブ取引でも行われています)を行っていたことも、当時としては世界的に見ても画期的だったようです。

江戸時代にリスクヘッジとは、本当にすごいことを考えたものですね。
先物取引は今でこそ世界中で当たり前のように行われていますが、そのシステムを最初に考えたのが日本人であることを誇りに思います。

ちなみに、株式投資をやっている人にはお馴染みの「ローソク足チャート」も世界に先駆けて本格的に用いられたのが堂島の米取引とされており、これも日本発祥で世界に広がったものの1つだといえます。
日本人ってスゴイですね!

お知らせ

記事の冒頭にも登場しましたが、堂島からも歩いて行ける場所に大阪梅田の簿記検定・税理士試験指導塾『Net-School@うめだStudy』があります。
簿記検定や建設業経理士試験の学習スペースや受験サポートをご希望の方は、ぜひご活用ください。

見学も大歓迎です。詳細は以下のホームページへ!

OTHER ENTRY この記事を読んだ人がよく読んでいる記事

SERVICE 自社サービス