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借方・貸方を「左右」で呼ばない理由



現代に通じる複式簿記を輸入した福沢諭吉

現在、皆さんが学習されている複式簿記の仕組みを西洋から日本に紹介したのは、一万円札の肖像でおなじみの福澤諭吉です。

福澤諭吉は、アメリカの商業学校で使用されていた『ブックキーピング』という教科書を翻訳した『帳合之法』を出版し、西洋式の複式簿記を日本に普及させる先鞭を切りました。

明治維新の頃には日本にこれまで存在しなかった概念が続々と日本に輸入されたため、それをどのように日本語に置き換えるのかで、かなりの苦労があったようです。

例えば、”society”という単語。今では「社会」という日本語訳があてられていますが、これも明治維新後に作られた日本語で、それまでは該当する日本語がなかったようです。
福沢諭吉は、明治8年に『文明論之概略』という書籍も出版していますが、この書籍では”society”という単語を「人間交際」と訳しているそうです。既に皆さんもご存知の通り、現代ではこの訳は一般的ではありません。

このように、新しい概念がどんどんと西洋から取り入れられてきた明治の日本では、その訳語を考えるのも一苦労だったようで、あの福澤諭吉でさえもすべてをうまく翻訳できたわけではなさそうです…。

福澤諭吉を悩ませた”debit”と”credit”

簿記を学習する方のほとんどが最初にぶつかる壁、それが「借方」と「貸方」ではないでしょうか。

英語では借方を”debit”、貸方を”credit”と表現しますが、それぞれに「借方」と「貸方」という日本語訳をあてたのも、福澤諭吉と言われています。

会計の世界での「借方」と「貸方」という呼び名に、特に「貸し借り」の意味合いはないのですが、どうしても「貸し借り」を連想させる上、貸借対照表では資産である『貸付金』が「借方」に、負債である『借入金』が「貸方」に記載されるため、多くの方が混乱されているようです。

ただ、『帳合之法』を読むと、初編の34ページ辺りにある〔譯者註〕(訳者注)に、この点に関する福沢諭吉の苦悩と想いをうかがい知ることができます。

今回、この記事を書くにあたって頑張って読み解いてみた結果、分かりやすくなるようにまとめてみましょう。

訳者である福沢諭吉自信も、お金を貸したとき(貸付金が生じたとき)は「借」とある側(借方)に、お金を借りたとき(借入金が生じたとき)は「貸」とある側(貸方)に記入することに違和感が生じることは認識していたようです。

西洋式の簿記(当時でいう「帳合」)では、取引先の相手の名前を記し、その取引先当人にとって「借り」の状態か「貸し」の状態かを記録するという考え方を採っているようです。
しかしながら、帳簿を記録する当人にとって「借り」の状態か「貸し」の状態かで慣れ親しんでいる日本人にとっては、貸借を逆にしたり、あるいはお金の出入りに合わせて「入」や「出」という表記にしたりといった訳をあてた方が、初めて西洋式の帳合を習う日本人にとって都合が良いのではないかと、福澤諭吉も相当悩んだようです。

では、なぜこのようなアイディアは採用されなかったのでしょうか。

その理由は、福澤諭吉がこれからの日本のグローバル化を見据えていたからと言えるかもしれません。

これからの日本が海外との交易を盛んに行うのであれば、日本だけ呼び名が異なると不便になるはずです。 そのことを勘案した結果、日本人の初学者にとっては不便であることを承知で「借方」と「貸方」という現代に通じる日本語訳を当てることを決めたようです。

なぜ、「左」と「右」ではだめなのか

ここまでで、福澤諭吉の苦悩や「借方」・「貸方」と呼ぶことになった経緯はある程度お分かり頂けたかと思います。
ただ、これだけでは、多くの簿記受験生が疑問に思っていることは解決しないでしょう。
おそらく、ほとんどの受験生はこう思うに違いありません。

『なぜ、「左」と「右」ではダメだったのか。』

簿記のテキストなどで、「左側のことを『借方』といいます」という説明を見て、「普通に『左側』じゃダメなの?」と思いたくなる気持ちも分かります。

「借方」と「貸方」の日本語訳をあてた福沢諭吉が、なぜ「左」と「右」という日本語をあてなかったのか。この理由の推測は、意外と単純です。

冒頭のご紹介した『帳合之法』ですが、実は国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができます。 以下のリンクから閲覧できますので、ちょっと開いてみて下さい。



今、皆さんが簿記を勉強する際に使っているテキストと大きな違いはお分かりいただけたでしょうか。

日本で初めての簿記の教科書は縦書きだったのです。

まだ日本語に横書きが無く、縦書きで記すのが当たり前の時代です。
原書(英語)は当然横書きですから、今の簿記と同じように帳簿を左右に分けていたもので紹介されていたはずですが、その表記のままでは縦書きの日本語には馴染みません。
かといって、日本語の表記まで変えることは不可能でしょうから、『帳合之法』では縦書きの日本語に合うように、帳簿を上下に分けて、上を「借方」、下を「貸方」と表現することになっています。

このように縦書きで帳簿を書く時代に、「左」や「右」という表現が馴染むはずもないでしょう。 そのまま、上が「借方」、下が「貸方」という表現が使われるようになったまま、それから時代が流れで日本語でも横書きが一般的になった際にも、『帳合之法』当時の表現にならい、上に書かれた借方のものが左側に、下に書かれた貸方のものが右側にという表記になったと考えられます。

多くの簿記受験生も悩ませる「借方・貸方」問題。 その背景には、福澤諭吉の葛藤と日本の未来に託した展望、そして日本語特有の「縦書き」という表記法が関連していたことがうかがいしれます。

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